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January 29 御杖銀杏の三社宮神社(海部郡の鎌倉街道5)御杖銀杏の三社宮神社(海部郡の鎌倉街道5)御杖銀杏 御杖銀杏は、鎌倉街道を旅してみえた一遍上人が萱津宿にこられた時、この三社宮の地に立たれ、手に持ってみえた杖をさしておかれたそうです。 その杖からいつの間にか芽が出て根をはり、何十年後かに大銀杏になったと云われています。 長い間に、この大銀杏もすっかり枯れ果ててしまいました。 不思議なことに、この枯れ果てた木の空洞から、また芽を吹いた若木が元気に育って立派な大木になりました。 光明寺山門 光明寺の宗旨 御杖銀杏の一遍上人は光明寺を中心に暮らしに困ったり病気で苦しんでいる人を励まして、仏教を広めました。 その一遍上人にまつわる伝説が御杖銀杏です。 この御杖銀杏は、ずいぶん遠くから見ることが出来、旅人の目印となったそうです。 桜(名古屋市港区)の大楠、呼続の物見の松、萱津の大銀杏(御杖銀杏)が、鎌倉街道を旅する人の目印となったようです。 お年寄りの話では、昔は名古屋の古渡や佐屋街道沿いからも見えたようです。 今度お出たら 持ってきておくれ 萱津畷(なわて)の銀杏の葉 と歌によまれ、「大銀杏、大銀杏」と親しまれてきました。 三社宮はその名称からしても三柱の神が祀られていたものであろうが、今では忘れられている。 古老の云われによると熱田社、津島社、真清田社の三社とのことである。
甚目寺町昔話 甚目寺町教育委員会発行から抜粋
上海出征記念碑
三社宮神社の境内に、上海出征記念碑がありました。
石田鐐一という人のもので、昭和七年二月に建立されたものですので、日中戦争(シナ事変)のころに奉納されたものです。
付近にある石碑や祠等下萱津地区土地改良完成記念碑 三社宮神社の北側に下萱津地区の旧集会場があり、その敷地内に土地改良の完成記念碑が建立されている。 下萱津の旧集会場内の石仏や石碑 同じ敷地内の一角に3体の石仏や碑が放置してあったが、耕地整理をするにあたって土地改良事業区域内にあった石碑や石仏を撤去してきたのだと思いますが、これらの石仏や碑はどこかに合祀されたのだろうか? 三社宮神社の北の辻地蔵 云われは分かりませんが、三社宮神社の北側、集落に入るところに辻地蔵がありました。 三社宮神社北東の祠 辻地蔵から東に行くと祠がありました。 この祠の云われも分かりませんが今も祀っている人たちがいるようです。 *の~民の記事「海部郡の鎌倉街道1」へ
三社宮神社の場所 <a href="http://base.alpslab.jp/?s=10000;p=35/10/35.101,136/50/37.283" target="_blank"><img src="http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/10/35.101,136/50/37.283&scale=10000"></a> January 27 天狗松伝承の月之宮神社(海部郡の鎌倉街道4)天狗松伝承の月之宮神社(海部郡の鎌倉街道4)月之宮神社 月之宮神社の地図 月之宮神社は、新川の右岸堤で鎌倉街道の渡し舟の船着場になっていた、下萱津の藤の北側にあります。 主要地方道名古屋第二環状線 月之宮神社の西側には新川の堤防道路があり、主要地方道名古屋第二環状線です。 月之宮神社本殿 祭神は、月夜見命です。 月夜見命は、天照大神の弟神で夜と海を司り、金銀財宝、山林田畑、五穀豊穣の神様です。 このあたりは、庄内川に五条川が合流する場所で、洪水の多発地点でした。 庄内川右岸提から新川越しに見た月之宮神社 江戸時代に、庄内川水系の治水のため庄内川を東に導き、新たに人工河川新川を作る分水工事を行いました。 このあたりの工事は難工事になったようで、そのための神の加護を願って祭祀したものです。 月之宮の由緒は、「堤(つつみ)の宮」が訛ったもの、あるいは、堤防を「築(つ)きの宮」が替わったもの と云われていますが、古老によれば、大水で漂着した神様があったので、祭り、神様が「着かれた宮」から成ったと甚目寺町史に書かれています。 甚目寺町史からの抜粋 五条川と人工河川新川の合流地点の絵図 の~民は、この神社に月之宮の文字をあてた江戸時代の人々の感性にロマンを感じます。 この 月之宮から川面に映る月を眺めなが思いにふける。 はるか天上界に思いを馳せる人々がいたのではないかと思うのです。 そして、祭神に月夜見命を祀ったことに萱津地区の農民の願いと希望を感じずにはいられません。 金銀財宝、山林田畑、五穀豊穣の神、月夜見命 かって萱津宿は鎌倉街道の大都市で、信長の金蔵といわれた津島が足元にも及ばない都市でしたが、江戸時代には農村になっていました。 月之宮神社の境内の松・どれが天狗松? 月之宮神社に天狗松の伝承があります。 月之宮神社の境内に枝が手を広げたようになっている松がある。 この松の真ん中に白紙が貼ってあったことがあった。 また、この松で天狗が火を焚いていたとも云われている。 この松を家に持ち帰ると病気になると云われている。 甚目寺町のHP・甚目寺町歴史民俗資料館の各地に残された伝承から抜粋 の~民は気になって、境内で天狗松を探してみましたが見つかりませんでした。 境内は整然としており、どこかで天狗が見ていても不思議のない感じがします。 *の~民の記事「海部郡の鎌倉街道1」へ
January 26 海部郡の鎌倉街道3海部郡の鎌倉街道3鎌倉街道 鎌倉街道は、萱津神社を過ぎると、萱津地区を離れ、名鉄津島線を越えて、甚目寺町大字西今宿地内に入ります。 竹生嶋神社 最初に見えてくるのは、竹生嶋神社です。 小夜姫伝説がある神社です。 人々を苦しめた大蛇を鎮めるために人身御供になるところを修行僧に助けられ、大蛇の云われを知って出家し、この地で暮らした小夜姫伝説のある神社です。 金山神社 竹生島神社を過ぎると、次は金山神社です。 金山神社の境内には、天野景福の表忠碑があります。 隷書研究の大家として有名だったそうです。 説教源氏節の碑 鎌倉街道からは離れますが、金山神社を西に行くと説教源氏節の碑があります。 説教源氏節は、人形浄瑠璃の一種です。 大阪で始まり名古屋に伝わって、江戸時代から大正時代にかけて、甚目寺町大字西今宿を中心として盛んに行われた郷土芸能です。 民家の庭にあり、カーポートの陰に隠れるようにして建立されていますので見逃す可能性も大きいです。 法満寺 鎌倉街道に戻り、金山神社のすぐ北側には法満寺があります。
法満寺から北に進むとやがて、株式会社コーワの工場に突き当たります。 鎌倉街道は、この工場のあった地域通っていたと思われますが、いまは迂回します。 工場の反対側に鎌倉街道は続いています。 稲荷神社 しばらく進むと稲荷神社がありますが、ここはもう清須市の上条地区です。 旧甚目寺飛行場作戦室跡 清須市にはいってすぐに、鎌倉街道から離れ西に進むと、住宅が途切れ農地が広がっています。 ところどころに官公庁や数軒の民家があるだけで、回りを見渡すと民家や商店が密集して見えるだけに異様な感じがします。 ここが太平洋戦争中、小牧の飛行場を守るために戦時中に建設された陸軍の飛行場跡地です。 畑の学校 飛行場跡地の一角に畑の学校の看板が見えてきます。 是は甚目寺町が郷土の野菜方領大根を作っている市民農園です。 小町塚 畑の学校を西進すると喫茶店があります。 喫茶店の信号を北に進み、しばらくすると道路の西側に、小町塚の案内表示があります。 この案内表示から西側を見るとこんもりとした木陰が見えます。 この木陰の下に小町塚があります。 晴明塚 小町塚の案内表示から北に進むと、道路の東側に晴明塚の案内表示があります。 この案内表示から東側を見ると大きな木が見えますが、この木の下に晴明塚があります。 竹生嶋神社から清須市へ 今回の コースは竹生嶋神社から清須市の稲荷神社までのコースです。 鎌倉街道を大きく外れますが、鎌倉街道の所縁の小町塚、晴明塚も入れました。 鎌倉街道は、このまま京まで続いていますが、これで海部郡にある鎌倉街道の紹介を終わります。 これからは、今まで紹介した鎌倉街道の神社仏閣や塚などを、個別に紹介したいと思います。
January 24 海部郡の鎌倉街道2海部郡の鎌倉街道2鎌倉街道 前回は、萱津宿中心である南宿の実成寺まででしたので、鎌倉街道を今回はさらに北上します。 三嶋神社 実成寺を北に進むと神社三嶋神社があります。 昔の鎌倉街道はこんな感じだったんだろうなぁ~と思わせる細い路地のような生活道路をです。 しかし、このあたりから鎌倉街道は、住宅地から工場と住宅の混在した部分に入ってきますので、少し広い感じがしてきます。 *の~民の記事「三島神社(海部郡の鎌倉街道14)」 飛梅天神 三嶋神社の西側、鎌倉街道からは見えませんが、飛梅天神があります。 飛梅天神には、名の通り梅が植えてありました。 光明寺 飛梅天神の北側には光明寺があります。 光明寺の山門は鐘楼門でかなり立派なものです。 光明寺は、このあたりでは珍しい時宗のお寺です。 八坂神社 光明寺を過ぎて、しばらくは進むと八坂神社があります。 妙勝寺 八坂神社を過ぎてすぐに、妙勝寺があります。 妙勝寺は、鎌倉街道から参道が約1町あり、このあたりの寺院では珍しいくらいの広い境内を有しています。 妙教寺 妙勝寺のすぐ北隣には妙教寺があります。 妙教寺は、隣の妙勝寺が広いので、余計に小さく感じます。 正法寺 妙教寺を北に進むと正法寺があります。 正法寺には、藤姫で有名な反魂香塚があります。 萱津合戦 正法寺を出て西に進むと、萱津合戦の碑が建立されています。 工場に囲まれた一角に、ひっそりと萱津合戦の碑は建立されていますが、本来は中萱津地区にあった萱津合戦の多数の塚を、耕地整理の時にまとめて合祀したものです。 清洲城と言えば織田信長のお城というイメージがありますが、この萱津合戦で勝利して、織田信友から奪ったものです。 萱津神社 正法寺を過ぎると有名な萱津神社があります。 この萱津神社は、日本で唯一漬物の神様が祭られていて、毎年八月には香の物祭りが行われています。 阿波手の森の碑 この萱津神社のあたりは阿波手の森と称されていました。 阿波手の森は、日本武尊と宮簀姫の悲恋の物語の舞台となった場所です。 阿波手の森の碑が、萱津神社の北側五条川の堤防法面に建立されています。 農家龍神 阿波手の森の石碑の近くには、農家龍神という竜神様が祀られた祠があります。 三嶋神社から農家龍神までのコース 今回のコースは、三嶋神社から農家龍神までです。 次は海部郡の鎌倉街道3へ続きます。 January 22 海部郡の鎌倉街道 1海部郡の鎌倉街道 1鎌倉街道 鎌倉街道は、鎌倉を中心にいくつかあったようですが、今回の~民が紹介したいのは、鎌倉と京を結んだ鎌倉街道です。 この街道は、江戸時代東海道の基となった街道ですが、そのうちの萱津宿を中心とした海部郡の鎌倉街道を 紹介します。 の~民の住む海部郡には、その昔(鎌倉時代)には萱津宿という宿場町があり、大都市でした。 この萱津宿は、東西南北の四つの宿からなっていて、中心は今の甚目寺町大字中萱津にあった南宿です。 今は萱津宿も甚目寺町の上萱津、中萱津、下萱津の3つの大字と名古屋市の稲葉寺町の四つに分かれてしまいました。 萱津宿の東宿跡 甚目寺町内を通る鎌倉街道は、名古屋市中村区稲葉地町にあった東宿から庄内川を渡り、甚目寺町大字下萱津地区にある宝泉寺あたりに入りそのまま五条川に沿って北上しました。 甚目寺町地内には甚目寺町大字中萱津に西宿と南宿があり、北上して甚目寺町大字上萱津の北宿へそして清須市から稲沢市そして一宮市へ向かいました。 このコースと別に萱津宿で別れ西に向かい、津島市から愛西市、桑名市へ向かう街道もあったようです。 今回は、五条川にそって北上するコースを紹介したいと思います。 県指定天然記念物下萱津のフジ 鎌倉街道は、この萱津の藤あたりで甚目寺町内に入りました。 庄内川に渡し舟があった頃の船着場です。 萱津の藤は、河川改修により敷地が狭くなったので、平成15年から公開されていません。 月之宮神社 萱津の藤を少し北に進むと、月之宮神社があります。 庄内川に五条川が合流する、洪水多発地帯である当地の治水のために、尾張藩と農民が分水工事を行い、難工事地域に建立された神社です。 *の~民の記事「天狗松伝承の月之宮神社(鎌倉街道4)」へ
鎌倉街道を北から来た時に、疲れた体を休めるのにいい温泉が、月之宮神社から北に見える太閤天然温泉湯吉郎です。 *の~民の記事「太閤天然温泉湯吉郎」
三社宮神社の御杖銀杏 街道から少し外れますが、三社宮神社の御杖銀杏が街道を行きかう人々の目印になりました。 今の御杖銀杏は、枯れた先代の幹から芽吹いた2代目でます。 *の~民の記事「御杖銀杏の三社宮神社(海部郡の鎌倉街道5」)へ
山伏塚 三社宮神社を西に進み萱津用水を渡って、2つ目の十字路交差点を北に進むと山伏公園があります。 この山伏公園の西側に山伏塚があります。 この山伏塚は、お酒を供えると願い事がかなうといわれる塚です。 *の~民の記事「お酒で願いがかなう山伏塚(海部郡の鎌倉街道7)」
お腹が空いたらの~民のお勧め食事処があります。 *の~民の記事「和食処おくだ(海部郡の鎌倉街道 ランチ)」
宝泉寺 鎌倉街道は、獏の寺として有名な宝泉寺の付近をとおります。 宝泉寺では、江戸時代正月に吉運を招くといわれた、宝船の刷っていたとのことであったが、現在はこの優雅な行事も跡絶えてしまっています。 *の~民の記事「獏の寺、宝泉寺(海部郡の鎌倉街道6)」 むしば地蔵 そのまま北上すると、宝永元年(1704年)に建立されたお地蔵様があります。 別名むしば地蔵といわれているお地蔵様です。 ただし、今は宝泉寺からむしば地蔵までの間には河村産業所という工場と県道名古屋・萱津線があります。 *の~民の記事「むしば地蔵(海部郡の鎌倉街道9)」
南無妙法連華経 むしば地蔵から鎌倉街道を外れて路地を西に進み、T字路 南に進むと県道名古屋・萱津線に出ます。 ここに南無妙法連華経の碑があります。 海部郡は、真宗大谷派(東本願寺派)の強い地域だと思っていましたが、鎌倉街道沿いの日蓮宗の寺院の多さには驚きです。 *の~民の記事「鎌倉街道は法華街道?(海部郡の鎌倉街道8)」 八王子神社 南無妙法連華経の碑を北に戻り、T字路を東に進み、最初のT字路を北進すると、八王子神社があります。 *の~民の記事「題目宝塔のある八王子神社(海部郡の鎌倉街道10)」 八王子神社へ行く途中に池端地蔵があります。
*の~民の記事「池端地蔵(海部郡の鎌倉街道10-2)」
*の~民の記事「八百万社(海部郡の鎌倉街道10-3)」 八幡社 八王子神社を道沿いに北に進むと、八幡社があります。 この神社はなぜか荒れ果てたという感じがします。 *の~民の記事「八幡社(海部郡の鎌倉街道11)」 緑風田 八幡社を北に進むと緑風田という石碑があります。 供養塔 この石碑は中萱津地区の耕地整理をした記念の石碑ですが、この石碑の横に供養塔があります。 この供養塔は、土地改良事業に寄り事業区域内にあった数箇所の塚を1箇所にまとめ供養する碑です。 *の~民の記事「供養塔(海部郡の鎌倉街道12)」 むしば地蔵から工場地帯を北に進むと道路が狭くなり、このあたりの地名が宿ノ口(甚目寺町大字下萱津字宿ノ口)です。
実成寺 この北側が萱津の宿の中の南宿(甚目寺町大字下萱津字南宿)で、実成寺があります。
*の~民の記事「実成寺(海部郡の鎌倉街道13)」 円行寺 泉竜寺 正善寺 実成寺は、境内に円行寺、泉竜寺、正善寺の三つのお寺がある珍しい寺院です。 下萱津の藤から 実成寺のコース 今回のコースは下萱津の藤から 実成寺までです。 次は海部郡の鎌倉街道2へ続きます。
January 17 プリンJanuary 14 御鍬祭り御鍬祭りある集落の御鍬社 先日の~民は、集落の初寄りに参加して、初めて御鍬祭りなるものを知りました。 の~民の集落では、初寄りで集落全体のことを決めた後に、神社の組合、お寺の組合そして農民の組合など順番に会合を開いていくのですが、神社の組合の昨年の行事報告の中で御鍬祭りの報告がありました。 の~民は集落に生を受けて約半世紀、初寄りを始めとして集落の会合に出るようになって二十数年になりますが、集落に御鍬祭りなるものがあるとは、今年になるまで知りませんでした。 御鍬祭りは、農機具の鍬をご神体とするお祭りで、60年ごとに行われるものだそうです。 他の集落に住む同級生と話をする機会があり、集落を挙げての祭りで大変だったと言っていました。 その後、ケーブルテレビの地方ニュースのダイジェスト版を見ていて、西尾張地区ではほとんどすべての集落で昨年は御鍬祭りが行われたようで、昨年出来なかた集落は今年行うようです。 集落を挙げてお祭りを行ったところでは、神馬を引いて集落中を練り歩いたところ、御輿や耕運機、トラクターなどを飾り付けて神馬の替わりにしたところもあります。 また、稚児行列に若い男性が女装しての仮装行列、盆踊りなどをしていた集落もありましたし、神田を決めて昔ながらの農作業を行ったところもありました。 祠を修繕した集落もあったようです。 村社に合祀される前に御鍬社のあった場所(昨年修理) 御鍬社が合祀された神社 神社に合祀されている祠 昨年はあちらこちらの集落で、びっくりするようなお祭りが行われていたにもかかわらず、何も知らずにいたとはただただ残念でした。 の~民の集落では御鍬祭りといっても、神社に神官を招いて祝詞をあげて貰っただけだったので、気づかずに終わってしまいました。 60年に一度の祭りだったのに残念です。 でも、ひょっとするとまだまだの~民の知らない祭りがあるかも
January 13 チョコびいるチョコびいる新しい飲物を見つけました。 その名もチョコびいるです。 炭酸飲料独特の味がしますが、チョコの味はほとんどしません。 王女様(娘です)が見つけてきてくれました。 炭酸飲料が大好きなの~民へのプレゼントです。 うれしいぃ~~なぁ~~ チョコびいるのサイト「http://www.guarana.gr.jp/dougai/chocobeer/index.html」 ネットで調べたら、チョコビールという本物のビールもあるんですね。
田舎のネコちゃん鎌倉街道を見て回っているときに見つけました。 甚目寺町の下萱津地区の八幡社の境内で休息中のネコちゃんです。 January 11 目玉おやじ目玉おやじ目玉おやじ? お寺で面白いオブジェを見つけました。 手ぬぐいを被り、笠を被った姿はお地蔵さんと言いたいところですが、お地蔵さんというには無理があるなぁ~ どう見てもアニメゲゲゲの鬼太郎で見た目玉おやじです。 目玉おやじのオブジェがあるお寺 お寺さんのある場所は「http://waiwai.map.yahoo.co.jp/editspot」です。
田舎のネコちゃん美和町の森山地区で路上をおるいているネコちゃんを見つけました。 ちょっとピンボケ気味だけど、縄張りのパトロール中かなぁ~
January 05 晴明塚晴明塚明けましておめでとうございます。 今年は新年早々寒さで震え上がりましたが、その後は穏やかな正月が続いてホッとしています。 さて、昨年からやろうと思っていた晴明塚やっと書き上げることが出来ました。 晴明塚 晴明塚は、甚目寺町大字新居屋字清明にあります。 本来は、新居屋郷のはずれの目立たない位置にあったのですが、数年前に新道が出来てから便利になりました。 晴明塚は、新道に立つ案内表示から東側を見ると大きな木があり結構目立ちます。 晴明塚が大きな木の根元にある 大きな木の根元にひっそりと立っている晴明塚 今でこそ回りに家が建ち始めましたが、新道が出来る前は数件の家があるのみで、田んぼの中に塚がありました。 晴明が来たころは、郷のはずれの田んぼの中だったと思われます。 晴明塚の云われ その塚の裏側に云われが記載してあります。 昔安部晴明がここを通ったとき、他の中に雑草が多くて農民が苦しんでいるのを聞いて、その害を除くため祈祷した跡と言い伝えられた。 **新居屋土地改良区 昭和59年4月** あの歴史に名高い陰陽士安部晴明が祈祷をした。? このあたりは清明という小字であるがそんな歴史ロマンがあったとは、 考えて見れば、古代の甚目寺町には鎌倉街道と言う主要街道があり、同じ甚目寺町の中萱津と下萱津には、萱津宿があったそうです。 要人が東国に下るときには通っても不思議はないし、安部清明のような有名人が通れば何らかの伝説が出来ても不思議はないなぁ~かと改めて思いました。 しかし、雑草が多くて農民が苦しんだ害って何だろう? 書いてある書籍には安部晴明がマムシ退治をしたという記述もあるが、マムシは確かに怖いけどそれくらいで農民が困るほどとは思えない。 の~民が思うには、おそらく稲の病気が発生し、広がっていったのではと思います。 今でも稲の病気が発生すると収穫量が半減したりします。 雑草云々の言葉がありますので、病気を媒介する虫が大量発生したのでしょう。 今では農薬(殺虫剤)が普及して予防できるようになりました。 昔は、農薬が無いし、今でも農村の祭りとして松明を使う祭りがありますので、それらが関係しているような気がします。 有名な陰陽の安部の晴明身すがった農民の切実な願い。 古代のロマンというより、農民の生活が思われる塚です。
次は、鎌倉街道を調べてみたいと思います。 の~民の住む地域には、有名な東海道の七里の渡しの脇街道として佐屋街道がありますが、その昔には鎌倉街道という古道がありました。 今は、住宅地の中の生活道路として車の通行も出来ないような道ですが、前に書いた小町塚や今回の晴明塚も、この街道あっての話です。 January 01 初詣 |
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